曲か、詩か
台本が無ければオペラは成り立ちませんし、作曲家は台本に対して真摯に向かい合います。
でも、所詮、芸術家。
エゴが頭をもたげて、争いが始まります。
台本作家と作曲家は友好関係を続ける事は難しいのが現実です。
もちろん、上手くいっている関係もあります。
モーツアルトとダ・ポンテやリヒャルト・シュトラウスとホフマンシュタール。
など、多くの名作を世に送り出したカップルもあります。
本題ですが、合唱曲の世界ではどうなのか?
結論は同じだと思っていました。
しかし、最近、考えが変わって来ています。
きっかけは信長貴富の曲をアンサンブルエテルナで取り上げてからです。
今年の11月の演奏会で信長さんの曲集「雲は雲のままに流れ」を演奏しますが、
信長さんの詩に対するアプローチが素晴らしくて、部分的にはテキストを超えた
表現をしています。
「はじめに言葉ありき」
と言いますが、テキストの持っているベクトルを伸ばすだけで無く、
テキストの中に隠されている本当の意味を浮き彫りにする感じです。
長い間、曲はテキストを超えられないと言われてきましたが、
そうでもないかも、と思い始めました。
例えば、この曲集の最後は木島始作詞の「それじゃ」ですが、
木島さんの詩は「また会おう」をリフレインにして、とてもかわいい感じです。
テキストは4番までありますが、曲はどんどん変化をしていって、
若干、信長さんの詩の挿入もありますが、元気に曲は終わります。
信長さんのような作曲家は少ないですが、おそらく現在の合唱の分野では、
最も素晴らしい作曲家だと思います。
楽譜を見ていて、飽きる事がありません。